カータンの親のトリセツ
ばぁば読書の時間しました
介護のど真ん中!
親のトリセツ
著者カータン
この本、表紙になんだか面白いキャラクターが描かれていまして親の介護って辛くて大変だよね。でも、愛おしい。って言葉が目に留まりまして
そうだよね
愛おしい
と思いふと手に取った本です
あっという間に読み切りました
著者のカータンさんはこれから親の介護が始まる方や現在親の介護に向き合っている方や悩み苦しんでる方に少しでも参考になれば嬉しいとおしゃっています
認知症のお母様や視覚障害になったお父様の介護などなど大変な状況の中、介護の様子を面白おかしく描かれていますので読み終えた後、ほんわかした気分になりました
ばぁばは老眼がひどいのでメガネをかけてもキャラクターの吹き出しの文字が小さく必死で文字を見るために眉間にしわを寄せて読んでいたと思われます
眉間にしわを寄せても不機嫌なわけではありませんよ
笑いあり頷きありがいっぱいであっという間に読んでしまいました
出会えてよかったほんの一冊です
ばぁばは現在、親の介護の中間点の小休止の状況にいます
義父(じぃじの父)を数年前に義母(じぃじの母)を今年お見送りしました
義母(じぃじの母)が入院した時にばぁばは父(ばぁばの父)は大丈夫だろうかと心配になりました
なぜならば義母(じぃじの母)と父(ばぁばの父)はなんでか知らんけど今までに同じ時期に入院することが度々あったのです
義母(じぃじの母)を見送った後、間もなくしてばぁばの父は入院しました
父(ばぁばの父)の入院から1か月、終末期から看取りについて考えた時に自宅で過ごしたいという父の想いがあり在宅療養に切り替えることにしました
在宅医療・介護連携支援センターで色々とお話を伺い訪問診療と訪問看護を探して退院しました
いろんな人に助けてもらいながら母と在宅療養しながら暮らしております
介護を重ねて
20年前のこと、義母(じぃじの母)が60代前半で脳の病気で突然倒れました
大手術をして一命はとりとめたものの高次機能障害となり新しい記憶ができなくなりました
脳神経外科に3か月ほど入院した後リハビリ病院に転院して手術から半年後に家に戻りました
過去の記憶は残っていましたが新しい事は何度繰り返しても頭に残りませんでした
新しく経験したことは何度同じことをやっても義母にとってはいつも新鮮な初めてのことになりました
繰り返し同じことを話す義母に対しては『前にもその話聞いたよ』なんて言いません
聞き流しの術を身に付けました
聞き流しながら頷いたり時々聞き返したりするのです
大変失礼に思えますがその方がお互いにストレスなく幸せでいられました
義母はデイサービスやショートスティを利用しながら義父と暮らしておりましたが月日が過ぎ老々介護となり義母は施設に入所することになりました
この頃、じぃじは単身でどこかで働いていましたので自分の父母ともあまり連絡を取ることもせず親とも(ばぁばとも笑)接触がなかったのでこの当時のことはほとんどわかってないと思われます
息子って親の存在忘れてるなっ
冷たいやつ
息子(じぃじ)妻の存在なんて皆無
義母が施設に入ってから義父も自分の時間を持てるようになりしばらくはお友達と旅行したり自由な時間を楽しんでおりました
独り暮らしを『自由気ままで快適』と言っていた義父ですが義母が施設にお世話になるようになってから1年が過ぎた頃には義父は口には出しませんでしたが一人暮らしの寂しさが感じられるようになりました
いままで一体どこにいるのか心配になり電話をしても連絡を取れないほどの義父でしたが義父の方からよく電話がかかってくるようになりました
これと言って用事がないのに電話がよくかかってきました
ばぁばが義父に晩御飯の差し入れを持って行くとお話が終わらないのでなかなか帰れませんでした
しかし、日々お話を聞いていると義父の認知機能が怪しい事に気づきました
夫婦の距離も遠~~~く会話のないじぃじとばぁばでしたがさすがにじぃじのお父さんのことですから様子をじぃじに伝えておくことにしました
お父さん(義父)最近ちょっと怪しいよ
始まってると思う(認知機能障害)
とじぃじに伝えました
しかし,じぃじは
歳相応やろ
大丈夫やわ
と軽くばぁばのことをあしらいます
いっこも実家帰らんとお父さんのこと見ていないのに適当なこと言うなぁ
自分の両親のことも考えられない人がばぁばの親のことまで考えるわけないな
とりあえず自分の親をちゃんと見て下さい
って心の中でいつも叫んでいました
あまりにものん気で適当な人任せな言い方をされた時には口に出してこの心の叫びを言ってしまったこともあります
なんとかして義父の怪しい様子をわかってもらいたいので色々と実家での用事を作りまして実家にじぃじに一緒に行ってもらいお父さんの様子を見てもらうようにしました
そんな繰り返しをしているとじぃじもようやくお父さんは年齢相応の物忘れではなく認知機能が落ちていることに気づき始めます
歳相応の認知機能と違うだろ~
義母がお世話になっていたケアマネさんからも
お父様もそろそろ独り暮らしは危険なことが多くなりますので考えていきましょう
とアドバイスをいただきました
この頃からじぃじとばぁばの会話は増え始め共同介護が始まることとなります
共同介護で夫婦の会話が増える
まずは自動車運転を卒業してもらう
高齢者ドライバーの事故が増え大問題となっています
義父はどこへ行くのも車で運転が大好きでした
しかしながら車の運転は引退してもらわなければなりません
今まで無事に事故もなく運転できたことにも感謝、義父にいろんなところへ連れて行ってもらえたことにも感謝を伝えて免許書返納することを説得しましたがそんな簡単にはいきませんでした
義父は車の運転の卒業という会話になると怒りだします
義父が車に乗らないようにカギを預かった(隠した)こともありました
しかしながらガレージに車があるので運転しようとする義父
『車のカギはどこにあるんだ!』と怒り出す義父
考えて行動しているのですが何とも言えないとても辛く悲しい気持ちになりました
最終的には本当に嫌なやり方になりましたが義父を家から連れ出した間に車をディラーさんに持って帰ってもらいました
こうする他なかったのです
義父の認知症はその後もすすんでいきました
家族とケアマネさんとも話し合った結果、もうこれ以上独りで生活はできないと判断し義母と同じ施設に入所することになりました
自由人の義父は施設に入りたくありません
施設に連れて行くのも大変苦労しましたが入所した初日からしばらくの間は施設から脱走していました施設からも数日連続で電話がかかってきました
この状態(施設から脱走する)が続くと施設暮らしは難しい事もありますのでしばらく様子を見ていきますね
とも言われました
そりゃそうですよね、介護スタッフが外に出た義父について外を歩いて見守らなければならないですから、施設内が手薄になっちゃいます
カータンの本にも書かれていました
親を施設に送り出した時は子どもを初めて幼稚園に送り出した気分とまさしく同じ思いでした
どうか今日は施設から電話がかかってきませんように
そんなこんなで義父も施設暮らしを始めてから1年が過ぎ日々の暮らしにも慣れて快適になってきた頃義父に癌が見つかりました
検査に通いながら今後の方針についても家族で話し合いました
義父は積極的な治療はしないという意思をはっきり示していたので治療はせずに最期は緩和ケアに入り看取りということになりました
当初、施設に入所することを拒否していた義父ですが緩和ケアに入る直前まで『できるだけ施設で過ごしたい』と言っていました
義父が亡くなったのはコロナ前で施設にいつでも会いに行けましたのでひ孫もいっぱい抱っこしてもらえました
施設のこと治療のこと看取りのこと葬儀のこと親の介護が始まってしばらくしてからじぃじとは伝えること話し合いすること決めること動くことがいっぱい増えました
親の介護をすることによって夫婦の距離が少し縮まったように思えます
施設からの連絡はばぁばに入りますのでじぃじに伝えなければなりません
親のことを通じてじぃじとばぁばの会話も増えていきました
夫婦で話し合い方向性を決めないといけない事もいっぱいでてくるのです
おかあさん(義母)の眼鏡壊れたらしいから作りに行かないといけないよ
今度の休みにお母さん連れて一緒に作りに行ってくれる?
メガネが出来上がったかと思うと
お父さん(義父)咳がひどいらしいよ
クリニックで診てもらおう
などなど
夫婦の会話の必要性も出てきます
ばぁばの友達も言ってました
義理のお父さん亡くなっちゃったけど義父のことで全く会話がなかった主人との会話が増えて夫婦の距離も縮まったきがするわ
義理のお父さんのおかげかな(笑)
全く同じやん!!
私も介護のおかげで主人との会話増えたわ
夫婦の変化
親の介護そして見送りを夫婦でとりあえず協力してやってきたことで少しずつじぃじとばぁば夫婦にも変化がみられます
じぃじはばぁばの親のことも色々と気にかけてくれるようになりました
ありがたい事です
人生っていろんな変化があって面白い
義父と義母に感謝!!
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