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人生は平均

子育て
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アラ還の一喜一憂

アラ還は孫の誕生や親の看取りいろいろ経験する年齢でもあります

人生は良い事も悪い事もいろんなことが起こります
ばぁばは人生は平均と考えるようにして生きています
良い事ばかり続いたら辛い事もある
辛いことが続いたら楽しい事がきっとある
人生は平均でみんなそうなっていると思うようにしています

ばぁば
ばぁば

そりゃぁ楽しい事ばかりだったら何も悩まずいいわ
悩み過ぎたら気が狂いそうになるけれど悩みがなければアホになりそうじゃない!?

努力したものが必ず成功するとは限らない
成功したものはみんな努力をしている
そんな言葉を思い出します
人生平均に生きていくためにはとりあえず頑張らねば

ばぁば
ばぁば

人生は平均!!
じぃじとの生活、これからばぁばは好き放題できるはず!!

まだ100超えていないよ

今年も桜が咲きました
桜を見ると亡くなった義父と義母のことを思い出したりします

義父母(じぃじの両親)のお話になりますが義父がよく義母のことを100歳以上は生きるわと言っておりました
義父は数年前に84歳で亡くなりました
昨年義母が82歳で他界しました
義父の方が長生きしたことになります
義父の写真に向かってばぁば言います

ばぁば
ばぁば

お父さんの方が長生きしたやん!

昨年は義母の年始の入院から始まり気がつけば慌ただしく1年過ぎてしまいました

義母が骨盤骨折して入院したのはの1月、手術はしないで療養入院していました
退院の日が決まったという時に義母はベッドから転倒したりと色々とありました
その後無事に退院してからは施設で元気に過ごしておりました

3月末の日曜日に義母がお世話になっている施設から電話がかかってきました
熱があるので明日病院で受診してもらえますかとの事でした

詳しく様子を聞いてみると義母は39℃の熱があるらしいのです
39℃ってしんどいに決まってる
日曜だから明日受診してくださいってことなのかなぁ瞬時に色々考えました
高熱が気になるばぁばは救急で診てもらった方が良いんじゃないかとじぃじに伝えました

じぃじ
じぃじ

明日まで待たずに今から救急車呼んでもらって病院に行けますか?

と施設の方にお願いしてみました
結果、家族さんが来てもららえるのでしたらそうしましょうという事になりました
じぃじとばぁばは出先でしたがすぐに義母のお世話になっている施設に向かいました

施設に到着後、救急車を呼んでもらいました
ばぁばは義母と救急車に一緒に乗りました
ばぁばは人生初の救急車でした
救急車って乗ってすぐに出発しないんですね
救急車に乗ってからは義母のバイタルなどをチェックして受け入れ病院を探し連絡してくださいます
施設から近い病院から順番に連絡を入れますという事でした

ばぁば
ばぁば

どうかすぐに受け入れ病院が見つかりますように

救急隊員さんは病院側と患者の氏名年齢やバイタルなど細かいやり取りを電話でされていました
間もなく受け入れ病院が決まりましたので救急車で病院に向かいました
病院をたらい回しされることも多い時期でしたのでとりあえずホッとしたことを覚えています

救急車の中では義母と会話はできました
名前を聞かれると救急隊員の方にちゃんと自分の名前も言っておりました
年齢は何年も前の若すぎる年齢を言っていました(笑)

運ばれた病院では休日診療時間外でしたので当直の医師の診察を受けました
コロナもインフルエンザも検査をしましたが結果は陰性でした
何かの感染症の可能性があるという事で入院となりました
入院時に当直医からは緊急事態が起きた時のために心臓マッサージをするのかなどの延命処置についても確認されました
延命についてはしないという意思をじぃじが伝えておりました
入院できたことでじぃじもばぁばも安心できて家に戻りました

真夜中の電話

義母が入院した当日安心して寝ていたら真夜中にじぃじの携帯が鳴ります
病院からの呼び出しの電話でした

“心肺停止したのですぐに病院に来ていただけますか”との事でした
じぃじと病院に駆けつけました

義母が入院できたことで安心していましたのでまさかこのようなことが起きるとは思ってもいませんでした

病院に到着後看護師さんにお待ちくださいと言われ真っ暗な休憩室のところで待ちました
病院に駆けつけたのに義母に会わせてもらえない
全く母の様子がわかりません

1時間ほど待っていたでしょうか
やっと看護師さんが来られて説明を受けます
“不整脈が原因で心肺停止したのでお呼び出ししたのですがその後また心臓が動き始めた”と伝えられました

その後母と面会しましたが入院の時に会話できていた母とは違いました
翌日に担当医が決まりますのでその時に説明があるのとの事でじぃじとばぁばはいったん家に帰ることになりました

植物状態

義母が心肺停止から復活した翌朝に担当医から義母の容態について説明を受けました
少し乱暴な話し方の医師でしたがはっきりとものを言われるのでわかりやすいと言えばわかりやすい

先生から出た言葉は義母は植物状態ですという事でした
昨日会話できて入院して安心していたので何が起こっているのか受け止められませんでした

じぃじの兄弟も駆けつけ一緒に説明を聞きます
“植物状態と確認できる方法はないのですか?”
なかなか家族は植物状態を受け入れることができません
医師は脳の専門の医師とも確認しますとの事でした

植物状態と言われた次の日担当医から報告がありました
義母は名前を呼ばれると反応があったりするので植物状態ではありませんと
状況の変化をなかなか受け止めることができませんでした

その後、面会に行くと母の鼻には栄養チューブがつけられていました
植物状態ではなくなったので回復のために栄養チューブがつけられたという事でしょうか?
回復のためならいいけれど延命処置ではないのか?
母にとってどうすることがいいのか?
母の姿を見ているととても複雑な気持ちになりました
答えの出せないことを考え悩む日々でした

病院からの電話

病室の義母は生きているのか生かされているのか日々考えました

入院時の心肺停止時の呼び出し後も病院からは何度か緊急の呼び出しがありました
“血圧が下がってきていますので病院にすぐに来てください”という連絡です
“何分くらいで来れますか?”と聞かれるとこちらもかなり焦ってしまいます
呼び出しの電話を受けた時はいつも覚悟をして病院へ向かいます

病院に駆けつけると義母はじぃじ(息子)の声を聞いてなのか不思議と状態は落ち着いてくるのです
母の心臓は弱そうで強いのかもしれません
息子の力か知らんけど。

日中の面会時間は毎日15分できます
経鼻栄養チューブをつけてベッドに寝ている母は手がむくんでパンパンになっています
なんとか楽にしてあげたいと思うのは勝手な思いなのでしょうか
経鼻栄養チューブを抜いてあげたいってじぃじもばぁばも思っていました

ケアワーカーさんと話す

急性期の病院には長くは入院できません
今後のことについてケアワーカーさんと話しました
母がお世話になっていた施設の所長さんもこの話し合いに同席してくださいました
願わくば今までお世話になっていた施設に戻って生活したいのですが母の健康状態から叶わない事でした
義母はリハビリ療養型の病院へ転院することに決まりました

医師からは転院時の搬送についても命の危険を伴うと言われました

ばぁば
ばぁば

そんなにリスクのある事してほしくないです
もうちょっとここの病院に入院せてくださいよっ

と言っても受け入れてもらえません
急性期の病院は長くは入院できないと理解していても悲しい現実です

転院延期!?

ケアワーカーさんが受け入れ病院との連携をとって下さり転院する日時も決まりました
本当は転院したくないんですけれど

ところが転院日の前夜に病院からまた義母の容態が悪く緊急連絡があり病院に駆けつけたのです
しばらくすると不思議なことにまた義母は復活してバイタルも落ち着いてきました

ばぁば
ばぁば

こんな状態で明日転院できますか?

と看護師さんに聞いてみました
“明日、担当医が判断しますのでとりあえず転院の時間にお越しください”との事でした

翌日転院の日、転院は延期されるかなっと思いながら病室に向かいました

じぃじ
じぃじ

おふくろパジャマに着替えてるやん

義母はいつも着ている病院のレンタルの患者衣ではなくばぁばが用意していたパジャマを着ていました

ばぁば
ばぁば

転院するってことやん
できるんかい

説明を聞く前に転院することがわかりました(笑)

転院先の病院まで救急車に義母と看護師さんと一緒に乗りました
病院まで車で10分ほどのところですが、この10分がとても長く感じました
ばぁば以上に看護師さんはもっと長く感じられたのではないでしょうか
義母の酸素濃度が低下したりモニターからいろんな警告音が鳴り看護師さんも酸素の濃度の調節など大慌てでした

リハビリ療養型の病院に到着後は義母の検査などがありましたのでしばらく待合で待機しておりました
義母の様子も少し落ち着きましたので一安心です

病院が変わると準備するものも違います
転院当日は枕やクッション、口腔ケア用品などを買い出して看護師さんにお預けして病院を後にしました

リハビリ療養型の病院は急性期の病院と違い看護師さんの数も少なく病院が静かな感じです

ばぁば
ばぁば

ちょっと寂しいような感じがします

義母がお世話になっていた施設にはもう戻れないのでお部屋の荷物の引き取りと退所手続きも行いました
なんだかとても寂しい気分になりました

最期に思う事

転院した病院でも面会は1日10分程できました

転院して4日後の朝に病院から緊急の連絡が入りました
“血圧が下がって状態が良くないのですぐにお越しください”とのことです

何度もこの状況から復活をみせてくれた義母です
しかし、本当のお別れになってしまいました
じぃじと一緒に母にありがとうという事を伝えることができました
聞こえたか知らんけど

最期に一緒にお見送りすることができました

ばぁばは人の最期に接するのは緩和ケアで看取った義父(じぃじの父)が初めてでした
緩和ケアの看護師さんは患者にもその家族にもとても親切にケアして下さったので感謝しております
人の死をそばで見守り受け入れることができました

義母が息を引き取った時、悲しい気持ちよりホッとしたのが正直な気持ちかもしれません
じぃじも何度も生死の境をさまよう母をみながら

じぃじ
じぃじ

父さん、(亡くなった父)母さんをそろそろ迎えに来たって
追い返さんとってね

と言うようになりました

義母は幾度となくも義父のいる世へ行きかけたり戻ってきたりしました
じぃじとばぁばにお別れの時間を作ってくれました

じぃじ
じぃじ

まだ来なくていいわって
またおやじに追い返されたんかなぁ

もちろん寂しいですけれど、鼻から栄養を取って手足がむくんでいる姿を見るのはとても辛かったです
そこまで頑張らなくていいよって気持ちも変化していきました
鬼嫁かしら、本当に勝手なことを言っております

じぃじと延命についても話すことが増えました

じぃじ
じぃじ

自分だったら鼻の栄養チューブ抜いて欲しい

ばぁば
ばぁば

私も延命しないで欲しい

しかし母が栄養チューブをどのように思っているのかがわからない

じぃじとばぁばも元気なうちに子供達に自分たちの延命や尊厳死について話しておくことやリビングウィルを書くなどの必要性を感じました

トラウマ~着信音~

じぃじのスマホの着信音が聞こえてくると病院からの緊急呼び出しのことを思い出してしまいばぁばは心臓がバクバクします
じぃじに着信音を変えてもらいました
トラウマです

ばぁば
ばぁば

別れがあれば出会いもある
いろんなことがあって人生は平均になる

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